院長エッセイ集 気ままに、あるがままに 本文へジャンプ


五月雨は月とホトトギス

 

 今年の梅雨は雨の日が多い。夏の水事情は安泰のようだ。私は雨が嫌いではない。夜の帳の中、しっとりと雨音を聞きながら、ショパンのピアノ曲を聴くのが密かな楽しみである。梅雨時の雨を五月雨(さみだれ)という。「さ」は皐月(さつき)の「さ」で、「みだれ」は水垂(みだれ)に由来するという。「さ」は早苗(さなえ)の「さ」で、豊穣を願う恵みの雨に通じるという説もある。長雨を疎ましく思いながらも、こころのどこかにその時候の潤いを心地よく感じるあたり、農耕民族のDNAなのかもしれない。

「さみだれの月はつれなき み山よりひとりも出づる ほととぎすかな」藤原定家(しとしとと夜半降り続く長雨に、心を慰めてくれる月は出てきてはくれない。暗く沈んだ山陰から、ほととぎすが一羽舞い上がり、絹を引き裂くような悲しい声で鳴いている。)
 五月雨の歌には、月とほととぎすがよく出てくる。月影のない夜空、孤独で寂しい感情が雨となって、夜半も鳴くほととぎすの鳴き声が、こんなにも切なく心を濡らす。ウェットなセンチメンタリズムは苦手だが、今夜ばかりは、新古今の風雅に浸るのもいい。そんな折、ショパンと雨音の旋律を切り裂いて、ほととぎすのような甲高い声で細君が叫んだ。「こんなに毎日、雨が降っていたんじゃあ、洗濯物が乾かない。キー!」主婦業は、風流とは少し距離を置いた職業であるらしい。





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